大阪地方裁判所平成18年2月10日 判例時報1949号76頁
(争点)
- 患者の初診時における診断内容に係る過失の有無
- 平成13年8月25日の電話対応に係る過失の有無
(事案)
患者X(平成13年8月当時31才の専業主婦で夫との間に幼い子供が2人いる)は、平成13年8月17日ころから、左眼窩部に針で刺すような痛みを自覚するようになった。そして、同月19日午後9時ころ、突如激しい頭痛を訴えるようになり、119番で紹介された夜間緊急医療機関であるF病院を受診した。Xは頭痛及び吐き気を訴え、頸椎の圧痛が認められたが、同病院の当直の内科医は、頭痛が続けばCT検査を行うこととして、鎮痛剤を処方するのみで帰宅させた。Xは鎮痛剤の使用により頭痛は緩和されたため、その後受診しないでいたが、その間も同月22日ころまでは一定の頭痛が続き、同月21日には左眼瞼の下垂が生じ、同月23日ころからは複視も生じるようになり、また左眼窩部痛も継続していた。
そこで、Xは、同年8月24日、F病院よりも規模の大きい、Y市が開設するY市立大学医学部附属病院(以下、「Y1病院」という。)脳神経外科を受診し、勤務医であるY2医師の診察を受けた。Y2医師はXの上記経過と診察の結果から、トローザハント症候群の疑いがあると診断し、近接するAクリニックで頭部MRI検査(FLAIR法)及び頭部MRA検査を受けるよう手配をし、Xは同日昼過ぎにAクリニックでこれらの検査を受けた。
XはAクリニックでの上記検査における撮影フィルムを持参して、同日再度Y2医師の診察を受けた。Y2医師は、MRAについて特記すべきものはないと診断し、またMRI上は異常がないが、症状から、Xにつきトローザハント症候群が強く疑われるものと考え、同症候群であれば効果のあるステロイド(リンデロン)を処方して、経過を観察することにした。
同月25日夜にXは頭痛を訴えてY病院に電話をかけたが、当直の脳神経外科医であるT医師は、死ぬような病気ではないので、処方された薬を飲んでおくようにと指示しただけであった。
同月27日、再診が脳神経外科のH医師により行われたが、同医師は、Xの動眼神経麻痺がむしろ悪化している上、初診日である同月24日に撮影されたMRAに動脈瘤の可能性のある所見を認め、Y2医師に連絡をした。Y2医師はXの症状の悪化を認め、リンデロンが全く無効であったと認識し、改めて初診時に撮影されたMRAを確認すると、左内頸動脈後交通動脈分岐部付近に動脈瘤とみることもできる所見を認めたため3D-CTにより動脈瘤を確認することとした。8月27日午前11時前ころからXに対する3D-CT撮影が開始されたが、その途中の同日午前11時05分ころ、XはCT台の上で突如全身痙攣を起こし、意識レベルが低下した。
Y2医師は、直ちに挿管の上、単純CT撮影を行ったところ、クモ膜下出血が確認され、引き続いての3D-CTにより動脈瘤も確認されたことから、緊急に開頭クリッピング術を施行した。そして9月6日、最後の外科的手段となる内減圧術を施行した。
Xは、日常生活において全面的に介助を要する状態と診断され、Y市から右上肢機能全廃及び両下肢機能全廃により身体障害者等級一級の身体障害者手帳を交付されたほか、右片麻痺、失語症、意欲障害、理解力低下など高次脳機能障害が強く残存している旨の診断も受けた。そして、Xの夫が成年後見人に選任された。 患者Xとその夫が、Y2医師に対して不法行為に基づき、Y市に対しては使用者責任または債務不履行に基づき、損害賠償請求訴訟を提起した。
(損害賠償請求額)
患者の請求額:1億8236万3549円
(内訳:治療費等107万8432円+過去の付添看護費465万6000円+将来の付添看護費5330万7520円+雑費941万9072円+休業損害341万7445円+後遺症逸失利益6303万8262円+入院慰謝料364万円+後遺障害慰謝料2800万円+弁護士費用1665万5000円の合計1億8321万1731円の一部請求)
患者の夫の請求額:550万円
(内訳:慰謝料500万円+弁護士費用50万円)
(判決による請求認容額)
患者の請求に対する裁判所の認容額:1億5559万7915円
(内訳:治療費37万0378円+病院退院時までの付添看護費178万2000円+将来の付添看護費5399万9560円+入院雑費42万1200円+休業損害310万5251円+後遺症逸失利益5727万9526円+入院慰謝料364万円+後遺症慰謝料2600万円+弁護士費用900万円)
患者の夫の請求に対する裁判所の認容額:440万円
(内訳:慰謝料400万円+弁護士費用40万円)
(裁判所の判断)
患者初診時における診断内容に係る過失の有無
裁判所は、まず、クモ膜下出血に関する医学的知見によれば、脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血では、診断の遅れが転帰不良につながるため、速やかに診断し、専門的治療を行うことが必要とされていること、クモ膜下出血の典型的症状は、経験したことのないような「突然の激しい頭痛」であるが、重篤な出血を来す前に、少量の出血による警告症状を呈する例も少なくないこと、警告症状としては、頭痛が最多で、これに悪心、嘔吐、意識消失、めまいなどが加わればクモ膜下出血を疑うべきであるとされることなどを認定しました。そして、くも膜下出血の診断については、平成13年8月当時、頭部CT検査が一般的に推奨されていたが、出血から時間が経過するにつれて診断率が低下することもあり、CT検査でクモ膜下出血が認められなくても、臨床的にクモ膜下出血が疑われる場合には、腰椎穿刺を行うべきであるというのが一般的見解であったと判示しました。
そして、初診時のXの症状は、クモ膜下出血を疑うべき症状等といえるから、Y2医師は、クモ膜下出血の疑いを持ってXの診察、検査等を行うべき注意義務があるとしました。
Y2医師が単純CT検査を行わなかった点については、XがY病院を初めて受診したのが8月24日であり、同月19日にクモ膜下出血を疑うべき症状が生じてから既に5日経過していることを考慮すれば、同月24日の時点では、単純CT検査ではクモ膜下出血の有無を診断し得ない可能性が相当程度あり、また、平成13年8月当時においては、亜急性期のクモ膜下出血の診断にはCTよりもMRIのFLAIR法による検査が有用であるという見解も存在したとして、MRIのFLAIR法による検査を行う場合には、同検査で出血の診断ができない場合であっても、別途、単純CT検査をも行う注意義務は認められないと判示しました。
次に、腰椎穿刺を行わなかった点については、一般的な見解として、発症24時間以内で診断率が92%とされるCT検査を含め、同検査によりクモ膜下出血が認められない場合であっても臨床的にクモ膜下出血が疑われる限り、腰椎穿刺を行うべきであるとされていたことをも考慮し、MRIのFLAIR法による検査でクモ膜下出血が認められない場合であっても、臨床的にクモ膜下出血が疑われる限り、なお腰椎穿刺を行うべき注意義務があったとしました。そして、8月24日のMRAには動脈瘤が映っていたのをY2医師が診断できなかったこと、Y2医師のXに対する問診は、クモ膜下出血の可能性に対する的確な認識を欠いた状態で行われたとみるべきであることなどを含め総合的に判断して、Y2医師は、Xについて、MRIのFLAIR法によって出血所見を認めなかったとしても、なお臨床的にクモ膜下出血が疑われるものとして、初診日である8月24日中に腰椎穿刺をすべき注意義務があったのにこれに反して腰椎穿刺を行わなかったのであり、重大な義務違反があると認定しました。
平成13年8月25日の電話対応に係る過失の有無
裁判所はこの点につき、Y2医師には、8月24日の初診時において、Xの左内頸動脈後交通動脈分岐部付近に動脈瘤がある疑いがあると診断すべき注意義務があったと判示しました。そして、その診断を前提とすれば、Xを初診日に帰宅させるに当たり、Y2医師は、次回再診予定日までにクモ膜下出血又はその警告症状が現れる可能性があることを予想し、Xに対し、頭痛の増悪や意識障害等これを疑わせる症状を自覚した場合には直ちにY病院又は近医を受診することを指示するとともに、Y病院においても、Xから上記症状が現れた旨の連絡を受けた場合に的確に対応することができるよう、本件診療録等に必要な情報を記載するなどして、これを当直医等が認識し得るようにしておくべき注意義務もあったと認定しました。
そして、Y2医師はこれらの注意義務に反したと認定しました。更に、8月25日夜の電話でY病院の受診が指示されていれば、Xは直ちに受診したものと認められ、クモ膜下出血の所見が得られれば、再出血を防ぐことができ、仮に所見が得られなくとも、脳動脈瘤の疑いがあり、かつ、その症状が増悪していることを考慮すれば再診により根治術が施行されていたものと推認されることから、Xの予後は良好なものであったと判断しました。
以上より、Y2医師の過失(注意義務違反)により、Xは8月27日午前11時過ぎころに重篤なクモ膜下出血を発症することとなり、上記の重い後遺障害を負ったものであるとして、Y2医師とその使用者であるY市には損害賠償義務があると認定しました。