東京地方裁判所平成18年2月23日判決(判例タイムズ1242号245頁)
(争点)
- 患者Aの死因が気管切開術中のB執刀医の過失によるものか
- 患者Aの余命を何年として損害を算定するか
(事案)
患者A(昭和8年生まれの男性)は、他院で食道癌と診断され、その紹介で、平成11年9月1日に学校法人Yが開設しているY大学医学部附属Y病院(Y病院)第一外科外来を受診し、同月13日、Y病院に入院し、食道癌の状態を調べるための検査を受けた。Aの食道癌は、脈管侵襲が高度で、リンパ節移転が5個あり、さらに壁内転移も見られ、リンパ節転移の部分は頸部上縦隔であった。Aは11月1日に食道癌根治手術において、胸部、腹部、頸部リンパ節郭清を受けた。
そして、その後の12月28日、AはY病院の執刀医B医師と助手C医師による気管切開術(本件気管切開術)を受けたが、その術中に、容態が急変して、失血死した。
Aの遺体の解剖の結果、右総頸動脈の起始部寄りのところに約0.3cm長の内腔に達する創傷が認められた。周囲に暗赤色軟凝性出血を伴っていて、本件創傷の創縁は正鋭、両創角は鋭角であると認められ、他に本件出血の原因となるような所見は認められなかった。また、司法解剖(本件解剖)を担当したS医師作成の死体検案書には、直接の死因として「頸動脈切断による失血」との記載が、同じくS医師が検察庁の嘱託により作成した鑑定書の「鑑定主文」には、死因として「右総頸動脈切創による失血」との記載がそれぞれある。
患者Aの内縁の妻で、遺言によりAの全債権の遺贈を受けたXが原告となり、B医師の使用者であるY病院を被告として損害賠償請求訴訟を提起した。
(損害賠償請求額)
患者の遺族の請求額:7932万0379円
(内訳:逸失利益3060万9436円(賃金収入:2405万5851円+年金収入655万3585円)+慰謝料3500万+原告固有の慰謝料500万+葬儀費用150万+弁護士費用721万0943円)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:2466万1023円
(内訳:逸失利益(年金収入)96万1023円+慰謝料1800万円+原告固有の慰謝料200万円+葬儀費用150万円+弁護士費用220万円)
(裁判所の判断)
患者Aの死因が気管切開術中のB執刀医の過失によるものか
まず、裁判所は本件解剖の結果から、Aを死亡に至らしめた本件出血は、右総頸動脈起始部寄りのところにあった約0.3cm長の内腔に達する創傷(本件創傷)が原因であると判断しました。
そして、Aは、本件気管切開術中に、執刀医であるB医師のメス操作によって右総頸動脈を損傷され、それによって生じた本件創傷からの出血によって失血死したとと認定しました。
さらに、裁判所は頸部のリンパ節や結合組織等を広範に郭清した場合、総頸動脈の位置が通常位置から移動することがあり、特に、頸部食道を切り離して胃管を挙上した場合、総頸動脈が気管側に移動することがあるところ、Aは11月1日、本件食道癌根治手術において、胸部、腹部、頸部のリンパ節郭清、胸骨後胃挙上再建を受けていたことを指摘したうえで、「B医師は、本件気管切開術を実施する際、総頸動脈の位置が通常位置から移動している可能性も考慮して、右総頸動脈を損傷しないように慎重にメス操作を実施すべき注意義務を負っていた」と判示しました。
そして、B医師がこの注意義務を怠って、右総頸動脈をメスで損傷し、本件創傷を生じさせたと判断し、B医師の過失を認定しました。
患者Aの余命を何年として損害を算定するか
裁判所は、患者Aの食道癌の生存率について、文献などからAは、12月28日に死亡しなければ、少なくとも、本件気管切開術の実施日から起算したとしても1年は生存できたと認めるのが相当であるが、食道癌根治手術から3年以上生存できた蓋然性は認められないと判断しました。そして、Aの余命は1年であったものとして損害を検討しました。
その結果、1年間において就労することができたとは認めがたいとして、賃金収入にかかる逸失利益を否定し、その他上記「裁判所認容額」記載の損害賠償をY学校法人に命じる判決を言い渡しました。