うつ病の予防を職場内で行う
自殺の危険因子であるうつ病患者が全国的に、全世界的に増えてきている。財団法人社会経済生産性本部メンタル・ヘルス研究所2006年調査結果によると、約6割の企業が"従業員のこころの病は増加傾向にある"と答えている。医療業界でも例外ではない。医療業界では5%がうつや不安障害の傾向にあると言われている。うつ病を治療し、自殺を食い止め、人々を救う立場にある医療従事者は自らが心身健康であるべきだろう。そのためよりいっそうメンタルヘルスに留意しなくてはならない。ぎりぎりの人員配置をしている医療現場では、ひとりでも休職者が出ては診療に大きく影響してしまう。医療従事者のメンタルヘルスを守るためには何が重要か、うつ病患者を出さないために何をするべきか、産業医科大学副学長・産業医実務研修センター所長の森晃爾(もりこうじ)先生に伺った。
年々増加するうつ患者。医療業界も決して例外ではない
日本での自殺者は1997年以降上昇傾向にあり、1998年以降、自殺者は3万人を下る年はない。自殺の主要因はうつと考えられ、うつ病患者も年々増加している。厚労省の行った精神疾患調査では、うつ病などの気分(感情)障害が1996年度は43万人であったが、1999年度は44万人、2002年度は71万人、2005年度には92万人と急激に増加の一途をたどっている。
精神疾患患者数の推移
1996年度 | 1999年度 | 2002年度 | 2005年度 | ||
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精神及び行動の障害 | 189 | 182 | 228 | 265 | |
主な疾病分類別 | 統合失調症、統合失調症型障害及び妄想性障害 | 72 | 67 | 73 | 76 |
気分[感情]障害(躁うつ病を含む) | 43 | 44 | 71 | 93 | |
神経症性障害、ストレス関連障害及び身体表現性障害 | 47 | 42 | 50 | 59 |
(単位:万人) (「疾病分類別」には「その他」を表示していない。)
医療業界も例外ではなく同様に医師や看護師などのうつ病罹患率が増えてきている。これは医療現場の環境が悪化していることがひとつの大きな原因だ。特に最近は訴訟を回避するための書類の増加に悲鳴を上げている現場も多い。書類の増加は業務量が増え煩雑になるだけでなく、働く者のモチベーションを下げてしまう。また診療報酬体系の改定に採算性、効率性を重視するあまり現場の人員を減らす傾向の病院もある。さらに患者からの苦情、長時間・過重労働、地方の医師不足は深刻な問題だ。
警察庁の調べによると2006年にはたった1年間で90人もの医師が自殺しているとのことだ。人の命を救うべき医師、看護師をはじめとする医療従事者をうつから救うには、構造的な根本的解決が急務であるが、まず現場が自分たちを守るために病気の原因を予防することが重要だ。
うつ病の一次予防にはストレスを取り除くことが有効
まずうつ病など精神疾患の場合、疾患の原因である「ストレス」を除去することが対策として考えられる。
ストレスの原因は主に(1)人間関係(2)能力と仕事のギャップ(3)個人的な問題、に分類できる。ストレスへの耐性は個人差があるが、耐性以上にストレスがかかるとうつ病など身体反応につながる。
根本的なストレスの原因を取り除くことは非常に難しいが、社会支援があれば軽減できる。
職場や外部組織の社会支援を受けることにより、ストレスが除去され、うつ病のスタッフが出にくくなる。それにより医療の質が向上することにつながる。つまり組織パフォーマンスが向上するのだ。
組織パフォーマンスを向上させることを目的に
医療の質を上げる仕組みを「組織パフォーマンス向上モデル」といい、これは個人のパフォーマンス向上を重要視しつつ、個人と組織のビジョンを明確に示し、職場でのコミュニケーションは良好か、安心して仕事に取り組める環境が整えられえているか、という点にも注目するものだ。さらにうつ病の早期発見という疾病対策も考慮する。
またコメディカルは比較的転職しやすい職業である。そのため勤めを辞めることに抵抗感がない人もいるが、組織パフォーマンスを向上させるために、優秀な人にはなるべく残ってもらいたいものだ。そのためには何をしたらよいのだろうか。
研修医や勤務医を守るためにはどうしたらいいのか。
一次予防策としてEAPや外部カウンセリングを
初期段階で病気を予防できれば、組織への影響は少なくなる。そのために社会支援を受けることがストレスを軽減し、第一次の予防になると考える。
つまり、ストレスを多く抱えている、このままであればうつ病になりそうだ、と思ったらすぐに専門家に相談することが極めて重要である。同僚や部下も悩みを抱えていたり、落ち込んでいるようであれば専門家への相談を薦めてもらいたい。
EAPという組織はご存知だろうか。EAP(Employee Assistance Program)とはアメリカ発祥の企業のためのメンタルヘルスサービスだ。契約企業の従業員や家族が利用できる。職場外での相談窓口の提供、こころの病の予防や休職者への復帰支援をしている。従業員にとって働きやすい環境を作ることで、生産性の向上を目指す支援活動である。ただしこれは民間のサービスのため、契約事業所のみの利用となる。
最近、EAPを導入している企業が年々増加している。企業側もEAPに相談することを告知するキャンペーンを社内で行い、相談しやすい雰囲気作りに力を入れている。日本IBM、HOYA、日本電気などEAPを導入した企業ではそれが実際に機能し、メンタルヘルスで休職する人数が減少傾向にあるという。
医療従事者にとっては、院内に精神科や心療内科があっても、なかなか自分の勤務する病院のスタッフには相談しにくいものだ。医療現場でもEAPの早期導入が望まれる。
EAPを契約していない施設勤務であっても、なにかあったらすぐに相談すべきである。精神科や心療内科で診察を受ける時間がとれないときには、無料電話相談を上手に利用したい。手軽に利用できるのは各自治体にある産業保険推進センター、全国に20ヶ所ある労災病院「勤務者 心の電話相談」、日本産業カウンセラー協会(電話03-3438-4568)、中央労働災害防止協会(電話03-3452-6841)などがある。
一次予防に取り組むには、まず予兆を見つけて相談することなのだ。
積極的傾聴法でスタッフの話を聴く
また、現場でもできる一次予防のノウハウとして提案したいのが、その組織のチーフ的立場の人員がスタッフの状況を「積極的傾聴法」により聴くことだ。 うつ傾向になると集中力の低下、不眠、食欲の低下などにより仕事のパフォーマンスが落ちる。予防的にスタッフの話を積極的傾聴法により聞くことで、ストレスを少しでも除去し、個人とひいては組織のパフォーマンスを維持できる、またはパフォーマンスが上がる可能性が高くなると考える。
話を聴く時間が取れない、という現場もあるだろう。この積極的傾聴法は決して時間を長くとる必要はないので、10分や30分でも業務時間内に時間を見つけてぜひ取り組んでもらいたい。
積極的傾聴法とは、「この人の立場ならこのように考えるのは当然だ」と共感しながら聴くことだ。ただ相槌を打って聴くのではなく、相手を批判するのではなく、その人になったつもりで話を聴く。共感的理解、無条件の肯定的感心、自己一致(ロジャーズの3条件)というキーワードを意識する。
どうしてもアドバイスしたくなったときは、相手が悩んでいることに対して本人はどのような工夫や努力をしてきたかたずねてみる。「どんなふうにそれに取り組んできたのですか」と訊くと相手も答えやすい。そして相手が努力していることが語られたら、間接的に努力を賞賛することとなり会話がさらに弾むだろう。
相手の言うことが単なるわがままに思えたり、明らかに間違った価値観に基づくことであれば、イライラすることもでてくる。説教したり励ましたりアドバイスしたくなりがちだが、それはしない。ただ「イライラしている」ということを相手に伝えて気づいてもらうことは必要だ。
中間管理職・マネージャー以上の立場の人がこのスキルを身につけることにより、スタッフの体調・メンタルヘルスの変調に早期に気づくことができる。
なぜ部下のパフォーマンスが上がらないか原因も究明される。
『積極的傾聴を学ぶ』(中央労働災害防止協会発行)を用いて研修を行うことにより、聴くスキルの向上を図れるので参考にしてほしい。
メンタルヘルスの不調が進行している場合は
すでにメンタルヘルスの不調を抱えてしまった人には、精神科医に診てもらう二次予防、治療を受けたり休職した人をどのように職場に復帰させていくかの対策をとる三次予防と、それぞれの段階に合わせた予防策を実践することになる。
「もぐら叩き」ではなく、根本的にメンタルヘルスへ対応を考えるなら、初期の段階でうつ病を予防することが何よりも重要だ。それが職場のパフォーマンスを向上させることにつながるのだ。
医療従事者の安全=医療安全
企業のメンタルヘルスを含む健康管理の取り組み状況を見ると、一番遅れているのが医療業界である。次に製薬会社、医療機器メーカーと医療関係ほど健康管理の対策が遅れている。
従業員50人以上の企業は産業医を置くことを義務づけられているが、個人クリニックや病院では、院長や医師が産業医の資格を持っていると、外部の産業医に委託しにくい。そうすると経営者として採算を求めることや、メンタルヘルスに理解がないことにより、ますますメンタルヘルスへの取り組みが遅れてしまう。しかしひとりでも休職者を出すことの損失の大きさを考えてみてもらいたい。責任のある立場にある院長・経営者がメンタルヘルスの重要性を理解し、組織的に安全衛生を遂行することが大切である。医療従事者の安全(健康)イコール医療安全なのだ。
取材:阿部純子