製造現場での品質管理を役立てる製造現場での品質管理を役立てる
さまざまな医療行為を「品質」の視点で捉え、良質の医療サービスを患者満足度の向上や医療安全の推進に役立てようという取り組みが増えてきた。とりわけ、品質が厳しく問われる製造現場の管理手法を医療現場に導入することで、事故を未然に防ごうとする活動が広がりを見せているようだ。日本を代表する世界的な自動車部品メーカー、デンソーで長く品質管理の仕事に携わり、医療現場での指導経験も豊富な中部品質管理協会専務理事の杉山哲朗氏に話を聞いた。
意識高めるのにつけた道筋
「糸の長さを測ろうとしたらドクターから叱られました」――。杉山氏が指導していた近畿地方のある総合病院の看護師がバツの悪そうな顔で打ち明ける。月に1度の割で赴いていたQC(Quality Control)サークルの懇談の席上でのことだ。「収益性の向上」が緊要課題であったこの病院では「経費節減」をテーマにQC活動を展開。手術室の看護師のチームは手術時に出る無駄な糸の節約も立派な経費節減につながると考え、医師ごとに、どれくらいの糸が使用されるかに着目した。そのための基礎データを採ろうとしたときの一幕である。
「肝心なのは、直接的な成果につながらなくても、みんなで注意を喚起し、事実に基づいてものごとを見ることによって、改善運動への道筋をつけられたこと」と杉山氏は看護師の行動力を評価する。このほかにも、この病院では、介護のおむつ代を減らす取り組み、MRIの騒音を快適に感じさせる方法、針刺し事故撲滅のための改善、検査技術の共有化など、それぞれの部署の実情に基づく提案と実践に挑んでいる。
意外に似ている医療と製造の現場
杉山氏が所属する中部品質管理協会は1951年に誕生した前身の組織を継承する形で53年に発足。製造業関係企業を対象に、文字通り、品質管理を中心とする管理技術やマネジメント手法を教育、普及する専門機関である。同協会の存在感を示すのは、セミナー事業の中心で、年間27種、延べ56回を数える講習会だ。製造業界の有識者や豊富な経験を積んだ企業の実務担当者が講師を務める講習会は極めて実践的な内容に富む。製造業の従事者にとって、その日から使えるさまざまなノウハウが満載だ。そんな製造業向けの会に、はるばる名古屋まで2年にわたって足を運んだ、四国地方のある市民病院の看護師がいたという。
これは、医療現場と製造現場とに数多くの共通点があり、違和感なく採り入れられる事例が少なくないことを意味する。要するに、業種や業態が違っても、通用する普遍性があるということだ。平たく言えば、品質管理手法は考え方さえ飲み込めば、いかようにも応用がきく。従って、製造現場で取り組まれている品質向上策は医療現場にも応用ができ、その延長で、医療安全にもつながるという論法だ。96年にTQC(Total Quality Control)の大本である(財)日本科学技術連盟が製品品質はもとより、サービスや経営の質を向上を追求する姿勢を打ち出すために呼称をTQM(Total Quality Management)と改めたことで、医療現場への応用が広がったともいえよう。
杉山氏は製造現場と医療現場の違いを別表のようにみている。
製造現場と医療現場の違い
項目 | 製造 | 医療 |
---|---|---|
対象 | ハードとしてのもの | 感情をもった人 |
目的 | 不良品を作らない | 異常を正常に回復 |
目標レベル | 一定の水準 | 人によってマチマチ |
提供のしかた | 大量生産(くり返しが多い) | 個別サービス(くり返しが少ない) |
確認時間 | あり | 非常に短い |
知識 | 部分工程 | 広い範囲 |
有効な「見える化」と「2S」
「TQMを支えるQC活動は特効薬ではなく、漢方薬である」といわれる。だから、地道に臨むことが必要だ。活動の基本に「人と組織の活性化」を置くTQMがうまく機能すれば、職員全体のモラルを高めたり、事故の発生を抑えたり、赤字経営を黒字に転化させたりできる。「その意味で、製造業の現場で行われている活動の手法は医療の質を高めるのにも応用できるはず」と杉山氏は言い切る。その管理手法の1つに「標準化」がある。
例えば、部品製造業では、1日1,000個を同じできばえの品質でつくることが至上課題。そのために作業手順を標準化したり、ミスを発生させないための環境を整えたりする。それに対して、看護師は1日1,000人に同じ作業をしない。患者の症状も程度も異なるからだ。しかし、相手は違っても、例えば、注射という行為には普遍性がある。従って、その面での標準化ができるはずだ。
「標準化」の重点は(1)作業の目的が達成できるものであり、誰がやっても同じ結果が得られること(2)作業場のポイントが明確になっていること(3)誰が見ても理解しやすいこと(4)異常時の処置が取れるようになっていること――だという。作業は、うまくいくポイントや失敗するやり方が分かったら、それをもとに標準化しておくことが失敗を繰り返さずに済ませるコツである。標準化を怠ると歯止めが利かずに改善してもいつの間にかもとに戻ってしまう。
杉山氏は改善活動の基本として「見える化」と「2S」(整理・整頓)を掲げる。「見える化」には「強調法」「基準法」「暴露法」「置換法」「表現法」の5つの手法がある。別表に、その方法と応用例を示した。応用例は個々の医療現場の実情によってアレンジできるはずだ。
見える化
方法 | 応用例 | |
---|---|---|
強調法 | 対象を目立たせる。 強調することで、注目を得る。 |
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基準法 | 正常、異常の判断できる基準があり、 一見して、識別できる。 |
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暴露法 | 隠れていたものを、表に暴露し、 目で見えるようにする。 |
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置換法 | 直接目には見えないもの(空気の流れ等) を目に見えるものに置き換える方法。 |
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表現法 | 目には見えない、抽象的な概念を、 目に見える形で、具体的に表現する。 |
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出典:「現場はもっと強くなる」(村上豊著)
「現場管理のスタートは2Sから」といわれるほど、整理・整頓は活動の根本である。2Sの目指す姿は「いま必要な1個以外は不必要」という考え方だ。「整理」とは不必要なものを取り除くこと。「整頓」とはモノがスーッと取り出せることだという。では、不必要なものの判断基準は何か。杉山氏によると「ゴミは不用品。余分な在庫は不急品。従って、1個以外は不必要」。明快である。
整理・整頓
整理 | 整頓 | |
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事例 |
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効果 |
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出典:「現場はもっと強くなる」(村上豊著)
カギ握る、トップマネジメントの理解
「医療分野へのTQMの普及にも努めていきたいが、肝心の製造業で手一杯」と杉山氏は品質向上のための改善運動に対する医療現場の関心の高さに注目している。
私見とした上で、杉山氏は「TQMの目指す考え方は当たり前のことばかり。肝心なのはそれを実行できるかどうかということ。このためには、より多くの人たちに、その考え方を知ってもらい、医療業界に広げていくことだ」という。
その実効を上げるには、多くの現場でQC活動の中心となっている看護師だけでなく、医師や院内の医療関係者を巻き込んだ病院全体の取り組みとすることが肝要だ。杉山氏は「何より、トップマネジメントである病院長が理解を示し、率先して取り組むことだ」と断言する。実際、そういうところの活動は極めてうまく運び、大きな成果を挙げているという。また、個別の病院単位の取り組みではなく、いかに、地域や系列で広げていくかという意識も大切だ。結果として、医療業界全体の質的な底上げを図ることにつながるからだ。
「お客様第一を考えて行動し、間違いのない確実な仕事を実現することにおいては、製造現場も医療現場も変わらない」と杉山氏は強調。「決められたことを確実に実行するための日常管理と、お客様本位のよりよい品質・サービスを提供するための改善活動を全員参加で継続的に行うTQM活動は医療安全を確保する上でも、有効な手段になるのでは」と提言している。
取材:伊藤公一